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2011年3月。
1・2月の消費の冷え込みがあったので、どの店もこれからの営業に期待していたところでした。

その日、家には家族全員揃っていました。そろそろ店に行こうかと準備を始めたところ、あの地震が起こりました。はじめはいつものことかと高を括っていましたが、ゆっくりと徐々に大きくなる揺れに恐怖を感じました。皆テーブルの下に隠れましたが、自分はテレビを抑えながら様子を見ていました。そのとき子供が‘父ちゃん、はやく隠れて!’といった瞬間を今でも覚えています。

幸い自宅は大きな被害にも見舞われず、事なきを得ました。早速店に連絡をしました。瓶が割れるなど多少の被害がありましたが、皆無事でした。
その日は全店休業にし、街の様子を探りました。崩れかかった看板や、壊れ落ちたタイルのビルなど、被災地に比べればささやかではありますが、街の光景はその地震の規模を物語っていました。

のちほど気仙沼や被災地の状況をテレビで知りました。
テレビでしか見たことの無い、戦場跡地の様でした。

夜、常連さんが帰宅困難者となって店に休憩がてら顔を出しました。都心から歩いて2時間程度でたどりつき、これから友人の家にお世話になる途中とのことでした。

茨城の実家は3日近く停電に見舞われ、携帯電話も通じない状況だったので、メールで兄とやりとりしました。停電周辺地区の状況をツイッタ―で確認して、兄に報告しました。

銀行には、住まいのローンの支払いの遅延の可能性と事業資金融資の打診の電話をかけ、大家各位にはテナント代支払等に関して今後起こりうる可能性を伝えておきました。
予想に反し、思いのほか売上は落ちることはありませんでした。むしろ日々不安のなかで過ごしている地方出身者の気持ちに触れることが出来ました。皆、不安の中過ごしていました。

営業を再開するにあたっての注意点として、地震がおきたときの火の後始末の方法を確認し、しばらくは揚げ物を辞めるという方向で運営していきました。
僕自身にとって地震に関しての恐怖のピークは静岡で震度6を観測されたときです。
営業を続けるべきか、一度店を休業して、当分は各自自己判断で過ごすべきか悩みました。結局は、様子をみながらの営業を続けました。
日々の業務である銀行の売上入金を一時ストップしました。予想通り、ATMに不具合が生じ、銀行は小パニックにおちいってました。

そして揺れとは別のもっと恐ろしい状況に脅かされることになりました。

原発、。

日々報道される情報を、固唾を呑んで見守るしかありませんでした。

東京の浄水場で放射能が検出され乳幼児は飲まないようにという注意がなされました。
すぐにミルク用の水を買い求めに走りましたが、どこも品切れでした。幸い取引業者さんの計らいで取り急ぎのミルク用の水は確保されました。
スタンドには車が並び、スーパーからは物が消えていきました。

幼児のいる家にとって福島原発の状況は、繊細かつもっとも気になる話題の一つでした。洗濯物は外に干すべきか、砂場は安心か、飲み水はどうしているか…
ボリュームは多少小さくはなりましたが、それは今現在つづいています。


東北大震災は、電力の多くを原発に依存しているこの国の状況とその社会的構図の疑念を多くの人に投げかけました。今まで世の中で語られることのなかった原発に関する闇の部分が数多く、ツイッタ―等で取り上げられてきました。

原発産業は、本当は独占企業と一部既得利権者の為だけに推し進められてきた産業構図なのか、資源小国の救世主的な役割を果たすインフラなのか、その両方なのか。

僕には、わかりません。

間違いなくいえることは、広島・長崎の原爆にしてもチェルノブイリにしても今回の福島原発にしても、人々と自然環境に甚大な被害をもたらした、ということです。

広島・長崎の慰霊祭に参加していたおばあちゃんが、テレビのインタビューで今回の原発事故の現状を聞かれてこう答えました。
‘私たちがねぇ、私たちがいけなかったんだよ…。私たちがもっと原子力の怖さを伝えていれば、日本はこんなに原発をつくらなかった’

今後僕たち日本人は十字架を背負ったものとして、この国や世界は原発とどのように付き合っていくのか、注意深く見守る必要があります。
そして原発問題に限らず、今現在も震災の被害かららなかなか復興が進まない続いている被災地の現状を忘れてはなりません。そして彼らが受けた心の傷も。

2012年3月11日。午後2時。
今日はとても穏やかな日です。一年前もこんな天気だったような気がします。
今日、当店のスタッフに待望の赤ちゃんが誕生しようとしています。

・・・
この国は今、多くの問題を抱えています。
震災復興、放射能、長引く不況、少子化問題、就職難、老後不安・・・。

この国の、子供たちの未来が希望に満ち溢れているような国にしていくこと、
それは僕たち大人の責任です。
慰霊祭のおばあちゃんの言葉、そして僕たちの大人としてのこれからの振る舞い、
多くの問題を解決すること、僕たち大人一人一人がその役割と責任を果たすこと。
真剣に考えたいと思います。


震災の被害に遭われた方々へのご冥福をお祈りするとともに、一日でも早い被災地の復興、そしてこの国の輝かしい未来を願って。

合掌。